眼力大明神社(眼力社)
猿田彦大神様が明神されています。
ここは「見る眼」を祈るところで、真実を見極める智慧を頼み、虚像を強烈に祓い目覚めさせるところです。
もっと視野を広げて観ること、嘘を見破る眼、これからを見据える力、自分が活きる道にフォーカスする力を祈願できます。
眼力社での先達記
ものを観る、眼
ひとを観る、眼
ときを観る、眼
つまり眼力社は、自分自身の人生を見極めていく「眼」、その眼力を願うところ。それを豊かに育てて祈りにしていく祈願をするお社です。
心眼を誤魔化して曇らせないように、怖さのあまり見失わないように、見なかったことにして諦めないようにするために。
人が選んで進む道にはいろいろな景色と人、ものが映ります。景色は刻々と変わっていくし、人も物も巡っていき同じ姿を留めません。狭めてしまわず期待を詰め込まず、流れるように生きることはときに難しく感じるけれど、その中で
自分の幸せを観る眼がいつもここに見つけられるように
嬉しいことを嬉しいと観られるように
楽しいことを楽しいと観られるように
大好きなことを大好きだと観て素直に喜べるように
辛くて嫌な経験ももっと後でいいからよかったなと包み込んで観られるように
感情の喜怒哀楽に彩られるこの全部を幸せに生きられるように
そう在れるようにと願ってもいいところです。
本質は、すべて同じもの
観方次第、意識のかけ方、意識厚圧で、形も現れ方も簡単に変わる
幸せを見つめる眼は自分で作り出せるなら、眼力大神さまの前で澄んだ眼に還り、この視界を豊かに育てて祈りましょう。
祈り方は、生き方
観え方は、生きる灯りだから
御膳谷奉拝所
ここは、「おやま」の神々に御日供を供えるところで、日々の恵みに感謝できる奉拝所です。
自分が提供できるもの、日々の言動や毎日繰り返している中で自動で生成されている「もの」への祓い清めの祈願ができます。
※たとえば、仕事で後ろ盾が欲しいときの祈願や、取り込んでいいものと悪いもの(食べ物、情報、人などあらゆる物事)の区別をつけるための祈願など
薬力大明神社(薬力社)
少彦名命様と薬師如来様が習合して稲荷明神の姿で坐っておられます。
ここは、ご先祖様や過去の自分の癒しと供養ができるところです。
また本地仏が薬師如来であるこのお塚は、あなたが供養しようとしている人の「死に至った原因」を忘れさせることができる、稲荷山屈指の、神仏習合での供養ができる場です。
薬力社での先達記
ここでは、薬力様の漢字の如く、身体の健康や病の快癒を願ってもいいのですが、もう一つ大切な祈りがあります。
先達による遠足では「稲荷のお山には、みなさまが縁故を司る狐の神様はじめ、ご自身の信仰するご神仏、ご先祖様などあらゆる所縁を背負って登ります」とお伝えしています。
それは、「自分」という括りが≪体ひとつ≫という小さな単位ではなく、全てのご縁の丸ごとの「自分」という大きな括りとして捉えるからです。
そのため薬力様のところでは、ご先祖様はじめ亡くなられたご縁のある方々の健やかなご成仏を願い、先達の案内のもと「散り際を忘れるというご供養の祈り」をします。
「忘れないことが供養だ」とよく先達はいいますが、その本当の意味を感じることができると思います。
痛みや病気の苦しみで亡くなられた方々の死際や死因、懺悔や後悔を生きている私たちがずっと覚えていたら、その方のご成仏を助けることになるでしょうか……握りしめている想い、悲しみ、罪悪感などを薬力大神様に委ねて祈ります。
ご先祖様もご自身もお互いに楽になり、自分の願いのままに前に進めるための大切な祈りの場。
苦しい引っかかりを温かい応援として背中に受け取っていけるような場所です。
ここに来られて楽になられたり涙が出たり、スッキリされたり……また護られているように感じて感謝が湧いたりされる方も実際に多いです。
もちろん何も感じなくても、それが祈りの目的ではありませんからいいのです。「供養」はまわりまわって自分のため。
たくさんの記憶たちの供養でもあり、自分自身の縁故を温めて生きる喜びを何倍にもしていくために両掌を合わせます。
おせき稲荷社
声、喉に関する神様が祀られています。
「声」を活かした仕事(アナウンサーや声優、歌手など)をしている人や、仕事柄、人前で話をすることが多い職業や人に教える仕事をしている人は、ぜひ、仕事の発展を祈願しましょう。
御劔社
みつるぎの大神様の御神体は大岩で、ご本地仏は毘沙門天様です。
ここでは、かつて、その時点の衝動的な感情や憤りでやってしまったこと、心の隙間に誰かに入り込まれて騙されてしまったようなことを思い出して供養していきましょう。
御剣社の奥の龍穴では女性が「よき鞘」になることの祈願と、自身の濁りない精々とした巡りを祈願できます。
さぁ、ここからは一の峰への最後の上り坂です。
ここからは「話さない、立ち止まらない、振り返らない」こと。
この三つの煩悩をしばし断ち切り、祈りを研ぎ澄ませ、自分のペースで階段を上り一の峰まで参りましょう!
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