伏見稲荷③|奥社~大杉大明神社

奥社・奥社奉拝所

奥社は稲荷山のすべての神々を遥拝する神聖な場です。

ここは、ご先祖さま方の血脈の縁、霊脈の縁をメインとする見えないご縁の繋がり全てを、 一旦、稲荷の大神さまのお山にお返しして委ね、祓い清め、リフレッシュを祈願するところです。

ここでもう一度、「おやま」しに来た理由を伝え、この度の祈願内容を復唱しておきましょう。

また奥社の裏奥の奉拝所では、各自、蝋燭1本に火を入れご灯明を照らしましょう。


さて、ここからは、いろいろな神様や仏様が、それぞれの目的をもって「稲荷明神」と化身して坐っている「お塚」という拝所を巡っていきます。

太古からの「神仏習合」の祈りができる貴重な場です。

一の峰に向かって登るときは

自分自身という「展点」を見つめた祈り
自分自身の内側に集中し、研ぎ澄ます、受け取っているものを観る祈り

一の峰から降りるときは

祓い清めを受けたご縁全てを背負い直した自分が、これから「どうありたいか」「何をしたいか」「何ができるか」といった外側に向く祈り
自分自身を外側に広げシェアする、自分が「外」に向けて与えるものを観る祈り

ができます。

それでは……いざ、おやまへ!

熊鷹権現社

新池を神籬として稲荷神が祀られています。本地仏は池のほとりのお不動様です。

「陽(火)のエネルギー」であるお不動様の強烈な祓い清めが受けられ、欲望を制限なく心に噓なく手を合わせ祈ることができます。

ここは欲望を制限なく心に噓なく手を合わせ祈る場所です。

優柔不断なときや惑わされているとこの場所をとても厳しく感じますが、どんな人にも本来の「自分で決める力」「自分を信じて進む力」があるのだということを教えてくださる、大切な祓い清めの場所。

自分のなかで「これは私には必要ない、なんか違う」といった違和感をしっかり感じ取り、対応できる力を願い祈ることができます。

「自分の祈った先を信じて観る力」がお腹に宿ったような、凛とした空気があります。

熊鷹権現社での先達記

熊鷹社は、自分が生きている上でのあらゆる煩悩の祓い、整理などを願える場所

「こうなりたい」「ああしたい」という願いに付随して湧いてくる様々な恐れや不安、捨てたいもの、整理したいもの、モヤモヤしているもの、悪い癖、苦しみを生んでいる価値観や、嫉妬、恨み、悪縁、しがらみなどを潔く祓い清め願うには、実は結構勇気がいるのかもしれません。

それらは、不満に感じながらも自分にとっての都合のいい言い訳になっていたり、隠れ蓑になっていたり、見たくない自分のカッコ悪さを蓋しているものかもしれないからです。

お不動様の力強さ、荒々しさの前でさらけ出すように「冷静に自分自身を観ることができますか?」と問われているような気がします。

信じた道を進む勇気を「自分自身に再確認するような場所」でもあるのかな、と感じています。

欲望を吐くだけでは願いは叶いにくい。けれども、その「欲」をきちんと拾い上げ研ぎ澄まして、ご神仏の前に晒していき、「欲」を「願い」にしていくことはできます。

とはいえ「願い」も叶いにくい。けれども「願い」をさらに研ぎ澄ましてご神仏の前に晒していき、やがて周りの幸せをも巻き込んでいく「祈り」にしていくことはできます。

そして「祈り」はすでに祈った通りにかなうしかない。

晒していく覚悟は願いを叶える覚悟であり、つまり、そのように生きて行動する覚悟です。

自分でなんとかするというよりも、ご神仏の前で周りの指先のご縁に至るまで、自分自身をきちんと見つめる勇気です。

誰もが、自分が一番好きで大切であるが故に、悩みや苦しみに囚われたり、いろいろありながらも人の中で人と関わって喜び分かち合ってい生きていきたいものなのだと思います。


四つ辻では眼前に素敵な景色が広がります。茶店やベンチがある広場になっているので休憩するにはもってこいです!

田中社神蹟・権太夫社

大国主命、事代主神など出雲の神々が稲荷神になって坐っておられます。本地仏は大黒天です。

大杉大明神社

伏見のお山の「森」の神様です。ここでは、生涯を通じた目標をひとつ、心を込めて祈願します。

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